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日本人のための憲法原論 1-3章

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SS.1 憲法の精神

1-1. そもそも憲法とは

日本国憲法は生きているか、死んでいるか

日本人のための憲法原論p16
  • 憲法とは本質的に「慣習法」である
英国憲法は「慣習法」で日本・米国憲法は「成文法」であると我々は教育を受けたが、明文化されていようが憲法とは本質的に「慣習法」であることを確認する。「決闘罪ニ関スル件」はなどは廃止されていない「生きている」と考えられるが、憲法は公式に廃止を宣言されなくとも死んでしまうことがあり得る。
  • 憲法が「死んだ」例
第一次世界大戦後のドイツ革命で宣言されたワイマール憲法は1933年の 「全権委任法」を持って事実上廃止されたと考えられる。また、民主主義を誇るアメリカで1776年に独立宣言で万民に人権があるとし、未施行の1789年に修正として「権利の章典」が追加され、1787年に合衆国憲法が制定されても長い間黒人や先住民の権利は無視され続けていた。さらに1850年代のサンフランシスコではゴールドラッシュによってヨーハン・ズッターの私有地が掠奪されても合衆国はズッターになにも保証しなかった。 つまり、憲法が成立していても憲法の精神が無視され、死んでしまうことはありうる。

SS.2 憲法や刑法は誰のためにあるか

  • 刑法は誰のためにあるか
「男は満18歳,女は満16歳にならなくては婚姻することはできない」という法律を見てわかる通り民法は国民全体に対する命令である。刑法の例として殺人罪をみてみると、「人を殺した者は…に処する」とあるように殺すな、などとは書いていない。つまり刑法は殺人を禁じていないのである。にも拘わらず日本人は殺すな、盗むな、傷つけるなという「法三章」が複雑になった程度のものであると思っている。再び上記の刑法を条文を見てみると、刑法を破ることができるのは罪の重さを決める裁判官であり、刑法は裁判官に対する命令である。
  • 刑事裁判は誰をさばくか
裁判は「真実を明らかにする場」ではなく、ましては刑が確定するまでは「犯罪者」は存在しないのであるから「犯罪者を裁く場」でもない。検察が法に触れる操作をしたり手続き上のミスがある、真実の証明にミスがある場合は検察の負け、というように検察官を裁く場である。このことをデュー・プロセスの原則という。裁判官は中立な存在ではなく、検察にミスがないかを調べる被告の味方である。
  • 近代憲法は国家権力を縛るためのものである。
右翼や左翼が特定の人物に圧力をかけたり、子供が親に注意されたりしたときに「言論の自由」を主張するが、これらは脅迫や営業妨害、名誉棄損などで告訴すればよい話であって、憲法違反でも何でもない。上記の例のように見ていくと、憲法は国家権力に対する命令であり行動を縛る鎖である。なぜ近代憲法がこのような精神を持っているかというと根本的に「権力というのはとんでもない化け物である」という考えがあるからである。この考えは17世紀ホッブズの「リヴァイアサン」に端を発する。

SS.3 憲法や議会と民主主義は無関係である

憲法と民主主義は本質的には何の関係もない (中略)   憲法や議会などという制度はデモクラシーという制度の前からあったものである。


日本人のための憲法原論p63
  • 中世ヨーロッパ国王の権力は貧弱であった
中世ヨーロッパにおける国王とは単なる「封建領主の代表」であって、直轄地以外の農奴や土地や奴隷には手出しできなかった。そのため、各領主と義務や権利をまとめた「契約」を結んだ。わざわざ憲法などを作らなくても、現在とは比べ者にならないほど強い慣習主義と、契約によって身動きが取れなかった。
  • 封建領主の没落
黒死病による農奴の減少と十字軍遠征による貨幣経済の発達と商工人の台頭で領主たちの力は弱まった。結果王は貴族たちと租税問題を一堂に議論するために、貴族たちは王に慣習法を守らせるために議会が生まれた。貴族たちは王に慣習法を認めさせるためにマグナ・カルタを認めさせたが、これには「王も法の下にある」「法を破った場合は反乱をおこしてよい」という後に民主主義の種となる思想が散りばめられていた。
読書まとめ
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